《吾輩は猫である》

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吾輩は猫である- 第54部分


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「僕は不愉快で、肝癪(かんしゃく)が起ってたまらん。どっちを向いても不平ばかりだ」

「不平もいいさ。不平が起ったら起してしまえば当分はいい心持ちになれる。人間はいろいろだから、そう自分のように人にもなれと勧めたって、なれるものではない。箸(はし)は人と同じように持たんと飯が食いにくいが、自分の麺麭(パン)は自分の勝手に切るのが一番都合がいいようだ。上手(じょうず)な仕立屋で着物をこしらえれば、着たてから、からだに合ったのを持ってくるが、下手(へた)の裁縫屋(したてや)に誂(あつら)えたら当分は我慢しないと駄目さ。しかし世の中はうまくしたもので、着ているうちには洋服の方で、こちらの骨格に合わしてくれるから。今の世に合うように上等な両親が手際(てぎわ)よく生んでくれれば、それが幸福なのさ。しかし出来損(できそ)こなったら世の中に合わないで我慢するか、または世の中で合わせるまで辛抱するよりほかに道はなかろう」





八 … 12

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「しかし僕なんか、いつまで立っても合いそうにないぜ、心細いね」

「あまり合わない背広(せびろ)を無理にきると尽à郅长恚─婴搿P鷩W(けんか)をしたり、自殺をしたり騒動が起るんだね。しかし君なんかただ面白くないと云うだけで自殺は無論しやせず、喧嘩だってやった事はあるまい。まあまあいい方だよ」

「ところが毎日喧嘩ばかりしているさ。相手が出て来なくっても怒っておれば喧嘩だろう」

「なるほど一人喧嘩(ひとりげんか)だ。面白いや、いくらでもやるがいい」

「それがいやになった」

「そんならよすさ」

「君の前だが自分の心がそんなに自由になるものじゃない」

「まあ全体何がそんなに不平なんだい」

主人はここにおいて落雲館事件を始めとして、今戸焼(いまどやき)の狸(たぬき)から、ぴん助、きしゃごそのほかあらゆる不平を挙げて滔々(とうとう)と哲学者の前に述べ立てた。哲学者先生はだまって聞いていたが、ようやく口を開(ひら)いて、かように主人に説き出した。

「ぴん助やきしゃごが何を云ったって知らん顔をしておればいいじゃないか。どうせ下らんのだから。中学の生徒なんか構う価値があるものか。なに妨害になる。だって談判しても、喧嘩をしてもその妨害はとれんのじゃないか。僕はそう云う点になると西洋人より昔(むか)しの日本人の方がよほどえらいと思う。西洋人のやり方は積極的積極的と云って近頃大分(だいぶ)流行(はや)るが、あれは大(だい)なる欠点を持っているよ。第一積極的と云ったって際限がない話しだ。いつまで積極的にやり通したって、満足と云う域とか完全と云う境(さかい)にいけるものじゃない。向(むこう)に檜(ひのき)があるだろう。あれが目障(めざわ)りになるから取り払う。とその向うの下宿屋がまた邪魔になる。下宿屋を退去させると、その次の家が癪(しゃく)に触る。どこまで行っても際限のない話しさ。西洋人の遣(や)り口(くち)はみんなこれさ。ナポレオンでも、アレキサンダ扦鈩伽盲茰鹤悚筏郡猡韦弦蝗摔猡胜い螭坤琛H摔瑲荬藛肖铯蟆⑿鷩Wをする、先方が椋Э冥筏胜ぁ⒎ㄍィà郅Δ皮ぃ─卦Vえる、法庭で勝つ、それで落着と思うのは間摺怠P膜温渥扭纤坤踏蓼墙梗àⅳ唬─盲郡盲破钉陇ⅳ毪猡韦9讶苏危à袱螭护い福─い螭椤⒋h政体(だいぎせいたい)にする。代議政体がいかんから、また何かにしたくなる。川が生意気だって橋をかける、山が気に喰わんと云って隧道(トンネル)を堀る。交通が面倒だと云って鉄道を布(し)く。それで永久満足が出来るものじゃない。さればと云って人間だものどこまで積極的に我意を通す事が出来るものか。西洋の文明は積極的、進取的かも知れないがつまり不満足で一生をくらす人の作った文明さ。日本の文明は自分以外の状態を変化させて満足を求めるのじゃない。西洋と大(おおい)に摺Δ趣长恧稀⒏镜膜酥車欷尉秤訾蟿婴工伽椁钉毪猡韦仍皮σ淮髞⒍à蜗拢à猡龋─税k達しているのだ。親子の関係が面白くないと云って欧洲人のようにこの関係を改良して落ちつきをとろうとするのではない。親子の関係は在来のままでとうてい動かす事が出来んものとして、その関係の下(もと)に安心を求むる手段を講ずるにある。夫婦君臣の間柄もその通り、武士町人の区別もその通り、自然その物を観(み)るのもその通り。――山があって隣国へ行かれなければ、山を崩すと云う考を起す代りに隣国へ行かんでも困らないと云う工夫をする。山を越さなくとも満足だと云う心持ちを養成するのだ。それだから君見給え。禅家(ぜんけ)でも儒家(じゅか)でもきっと根本的にこの問睿颏膜椁蓼à搿¥い樽苑证à椁皮馐坤沃肖悉趣Δ皮ひ猡韦搐趣胜毪猡韦扦悉胜ぁ⒙淙眨à椁袱模─蚧兀à幛埃─椁故陇狻⒓用à蚰妫à丹─肆鳏故陇獬隼搐胜ぁ¥郡莱隼搐毪猡韦献苑证涡膜坤堡坤椁汀P膜丹ㄗ杂嗓摔工胄迾Iをしたら、落雲館の生徒がいくら騒いでも平気なものではないか、今戸焼の狸でも構わんでおられそうなものだ。ぴん助なんか愚(ぐ)な事を云ったらこの馬鹿野郎とすましておれば仔細(しさい)なかろう。何でも昔しの坊主は人に斬(き)り付けられた時電光影裏(でんこうえいり)に春風(しゅんぷう)を斬るとか、何とか洒落(しゃ)れた事を云ったと云う話だぜ。心の修業がつんで消極の極に達するとこんな霊活な作用が出来るのじゃないかしらん。僕なんか、そんなむずかしい事は分らないが、とにかく西洋人風の積極主義ばかりがいいと思うのは少々铡蓼盲皮い毪瑜Δ馈,Fに君がいくら積極主義に働いたって、生徒が君をひやかしにくるのをどうする事も出来ないじゃないか。君の権力であの学校を椋фiするか、または先方が警察に訴えるだけのわるい事をやれば格別だが、さもない以上は、どんなに積極的に出たったて勝てっこないよ。もし積極的に出るとすれば金の問睿摔胜搿6鄤荩à郡激ぃ─藷o勢(ぶぜい)の問睿摔胜搿Q言すると君が金持に頭を下げなければならんと云う事になる。肖蚴眩à郡危─嘈」─丝证烊毪椁胜堡欷肖胜椁螭仍皮κ陇摔胜搿>韦瑜Δ守毞θ摔扦筏猡郡盲恳蝗摔欠e極的に喧嘩をしようと云うのがそもそも君の不平の種さ。どうだい分ったかい」

主人は分ったとも、分らないとも言わずに聞いていた。珍客が帰ったあとで書斎へ這入(はい)って書物も読まずに何か考えていた。

鈴木の藤(とう)さんは金と肖趣藦兢à戎魅摔私踏à郡韦扦ⅳ搿8誓鞠壬洗呙咝gで神経を沈めろと助言(じょごん)したのである。最後の珍客は消極的の修養で安心を得ろと説法したのである。主人がいずれを択(えら)ぶかは主人の随意である。ただこのままでは通されないに極(き)まっている。

 %%。



九 … 1

 小说
主人は痘痕面(あばたづら)である。御維新前(ごいっしんまえ)はあばたも大分(だいぶ)流行(はや)ったものだそうだが日英同盟の今日(こんにち)から見ると、こんな顔はいささか時候後(おく)れの感がある。あばたの衰退は人口の増殖と反比例して近き将来には全くその迹(あと)を絶つに至るだろうとは医学上の統計から精密に割り出されたる結論であって、吾輩のごとき猫といえども毫(ごう)も疑を挟(さしはさ)む余地のないほどの名論である。現今地球上にあばたっ面(つら)を有して生息している人間は何人くらいあるか知らんが、吾輩が交際の区域内において打算して見ると、猫には一匹もない。人間にはたった一人ある。しかしてその一人が即(すなわ)ち主人である。はなはだ気の毒である。

吾輩は主人の顔を見る度に考える。まあ何の因果でこんな妙な顔をして臆面(おくめん)なく二十世紀の空気を呼吸しているのだろう。昔なら少しは幅も利(き)いたか知らんが、あらゆるあばたが二の腕へ立ち退(の)きを命ぜられた昨今、依然として鼻の頭や睿Г紊悉仃嚾·盲祁B(がん)として動かないのは自慢にならんのみか、かえってあばたの体面に関する訳だ。出来る事なら今のうち取り払ったらよさそうなものだ。あばた自身だって心細いに摺い胜ぁ¥饯欷趣獾硠莶徽瘠坞H、誓って落日を中天(ちゅうてん)に挽回(ばんかい)せずんばやまずと云う意気込みで、あんなに横風(おうふう)に顔一面を占領しているのか知らん。そうするとこのあばたは決して軽蔑(けいべつ)の意をもって視(み)るべきものでない。滔々(とうとう)たる流俗に抗する万古不磨(ばんこふま)の穴の集合体であって、大(おおい)に吾人の尊敬に値する凸凹(でこぼこ)と云って宜(よろ)しい。ただきたならしいのが欠点である。

主人の小供のときに牛込の山伏町に浅田宗伯(あさだそうはく)と云う漢法の名医があったが、この老人が病家を見舞うときには必ずかごに仱盲皮饯恧辘饯恧辘炔韦椁欷郡饯Δ馈¥趣长恧诓悉訾胜椁欷皮饯勿B子の代になったら、かごがたちまち人力車に変じた。だから養子が死んでそのまた養子が跡を続(つ)いだら葛根湯(かっこんとう)がアンチピリンに化けるかも知れない。かごに仱盲茤|京市中を練りあるくのは宗伯老の当時ですらあまり見っともいいものでは無かった。こんな真似をして澄(すま)していたものは旧弊な亡者(もうじゃ)と、汽車へ積み込まれる豚と、宗伯老とのみであった。

主人のあばたもその振わざる事においては宗伯老のかごと一般で、はたから見ると気の毒なくらいだが、漢法医にも劣らざる頑固(がんこ)な主人は依然として孤城落日のあばたを天下に曝露(ばくろ)しつつ毎日登校してリ丧毪蚪踏à皮い搿

かくのごとき前世紀の紀念を満面に刻(こく)して教壇に立つ彼は、その生徒に対して授業以外に大(だい)なる訓戒を垂れつつあるに相摺胜ぁ1摔稀冈长证虺证摹工蚍锤菠工毪瑜辘狻袱ⅳ肖郡晤喢妞思挨埭褂绊憽工仍皮Υ髥栴}を造作(ぞうさ)もなく解釈して、不言(ふげん)の間(かん)にその答案を生徒に与えつつある。もし主人のような人間が教師として存在しなくなった暁(あかつき)には彼等生徒はこの問睿蜓芯郡工毪郡幛藝頃^もしくは博物館へ馳けつけて、吾人がミイラによって埃及人(エジプトじん)を髣髴(ほうふつ)すると同程度の労力を費(つい)やさねばならぬ。この点(てん)から見ると主人の痘痕(あばた)も冥々(めいめい)の裡(うち)に妙な功徳(くどく)を施こしている。

もっとも主人はこの功徳を施こすために顔一面に疱瘡(ほうそう)を種(う)え付けたのではない。これでも実は種え疱瘡をしたのである。不幸にして腕に種えたと思ったのが、いつの間(ま)にか顔へ伝染していたのである。その頃は小供の事で今のように色気(いろけ)もなにもなかったものだから、痒(かゆ)い痒いと云いながら無暗(むやみ)に顔中引き掻(か)いたのだそうだ。ちょうど噴火山が破裂してラヴァが顔の上を流れたようなもので、親が生んでくれた顔を台なしにしてしまった。主人は折々細君に向って疱瘡をせぬうちは玉のような男子であったと云っている。浅草の観音様(かんのんさま)で西洋人が振り反(かえ)って見たくらい奇麗だったなどと自慢する事さえある。なるほどそうかも知れない。ただ誰も保証人のいないのが残念である。

いくら功徳になっても訓戒になっても、きたない者はやっぱりきたないものだから、物心(ものご
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